2013年10月11日

サバービア俳句名句集

2013年9月
今までのサバービア倶楽部・俳句の会で出された句を
中杉隆世先生に選句して頂きました。



自句自解


雪の上の足跡雪の中へ消ゆ
(ゆきのえのあしあとゆきのなかへきゆ)


初笑して何もかも忘れたる
(はつわらいしてなにもかもわすれたる)

考ふること何もなき涼しさよ
(かんがうることなにもなきすずしさよ)             
中杉隆世



雪の上に点々とつづく足跡が雪の中に消えている風景です。「雪の中に」ではなく「雪の中へ」となっておりますので、足跡が雪の降り積もった地上だけではなくさらに幻想的に雪空の中へ消え入っていように見えるのです。

「初笑」の句は悲喜多い人生の果てに辿り着いた屈託のない世界で何もかも忘れ去って皆と一緒に初笑しているところです。

「涼しさ」はしあわせの象徴です。しがらみやこだわりを捨てたところに「色即是空」や「花鳥諷詠」の理想があるように思われます。


つぎに、俳句の会のメンバーの句の紹介になります。


隆世選


又しても玉虫高く飛び去りぬ                 
(またしてもたまむしたかくとびさりぬ)
則昭

玉虫は金緑色に金紫色の二条の縦線のある流線型の美しい虫です。玉虫では法隆寺の玉虫厨子が殊に有名です。
「玉虫の光を引きて飛びにけり  虚子」の句のように飛び去るときには光を放ちます。この句はそんな玉虫に見とれていて一つまた一つ飛び立って行くさまに掌中の玉を失って行くような言い知れぬ寂寥感(せきりょうかん)に捉われたのでありましょう。そうした思いが「又しても」という言葉に籠っております。


夏山や下りの路も雲の中
(なつやまやくだりのみちもくものなか)

「夏山や」という詠出が見事です。切字の「や」が効果的で、眼前に聳(そび)え立つ夏山から遥か彼方まで連なる峰々が見渡せるようです。また、「下りの路も」からは既に登頂を極めた満足感に浸りながら下山している様子が判ります。下五の「雲の中」と言い切ったところが良く幻想的な余韻余情を広げております。


日蝕の真昼かげりぬ桜桃忌                    
(にっしょくのまひるかげりぬおうとうき)
勝枝

「桜桃忌」というのは太宰治の忌日のことです。「桜桃」は「さくらんぼ」のことで太宰治の文学的雰囲気にぴったりという感じが致します。日蝕の日が偶然桜桃忌であったということに感興を覚えたのでしょうが、「真昼かげりぬ」と表現することによって詩的な深みのある心象風景となりました。白昼生じた真昼の一瞬の暗黒。これは若くして逝った太宰治への鎮魂の句と言えます。


母の日の娘とともに聴くショパン               
(ははのひのむすめとともにきくしょぱん) 
笹百美

母の日に共にショパンの名曲に聞き入る母娘です。母の苦労をねぎらい感謝を表す赤いカーネーションを贈った娘は母と二人切りで好きなショパンの名曲を聴くことを母の日のプレゼントにしたのです。それはそれが母の最も喜ぶことであると知っていたからです。ショパンの優しい幻想曲が二人の心をしっかりと一つに結んでおります。


ひらひらとここにいるよと蝶が舞う             
(ひらひらとここにいるよとちょうがまう) 
貴子

「ここにいるよ」と言っているのは蝶でしょうか、作者でしょうか。蝶と言葉を交わす作者の童心が素直に言葉になったような俳句です。蝶がひらひら舞うという表現はすこし幼い感じが致しますが、それでも一所懸命無心に描いたメルヘンの世界であることには間違いありません。俳句は初心を大切に致します。見たまま、感じたままをそのまま表現すること、それは一見やさしいようで非常に難しいことであります。


平成二十五年九月二十九日(日) 中杉ご夫妻壮行会にて





posted by 俳句の会 世話人 中杉隆世 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化サークル( 俳句 ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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